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データ可視化

歴史上の東西の最大軍勢を並べて示したグラフ

ハルシオンマップスのMartin Vargic さんがWikipedia のデータを集めて作成したこのチャートは、紀元前2500年からの東西のスーパーパワーを、その時代に「人数が」最大の軍隊を保持していた国を並べることで表したものです。

(クリックで Halcyon Maps & Martin Vargic のオリジナルが開きます)(クリックで Halcyon Maps & Martin Vargic のオリジナルが開きます)

太古の華夏とウルク、エジプトと商、ペルシアと楚、ローマ帝国と漢、など、直接対峙していたというわけでもないのに、それぞれの時代の最も大きな軍のサイズがそれほど違わないオーダーなのは、それぞれの時代のテクノロジーが支えられる限界を示しているのかもしれないですね。

西暦に入ってからは、小勢力に分裂した西洋と、統一され巨大な軍隊を持つ中国との比較になります。最大の軍隊、で数えると、分裂した西洋側の数字は小さくなってしまいますね。ナポレオンの時代まで東洋側が数字をリードします。

グラフは、第二次世界大戦のところだけ、洋の東西ではなく枢軸対連合というわけかたになっています。また、戦後は地理的な東洋・西洋ではなく共産圏を東と呼ぶようなわけかたにされており、現在は北朝鮮と大韓民国が東西の代表となっています。軍隊の人数で言うなら、直接前線で接しているこの2国が最も動員力があるということなのでしょうか。(韓国の人数は徴兵後の予備役をすべて参入した数のようです)

日本も、日露戦争からあとの拡張と、第二次世界大戦の末期、ドイツの降伏後に帝政日本が登場しています。

reddit のコメント欄では、大英帝国は、ムガールは、ポルトガルは、のようにいろんな時代・国がどうして載ってないんだ、という突っ込みが多数でていますので、万人の納得するようなきちんとした分類ではないのは明らかですが、歴史の切り取り方として面白いかなと思います。

via reddit

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技術者と英語

「ハッカー」という単語の初出は1963年

Yale名言辞典の編者フレッド・シャピロさんの調査によると、”hacker”が(切り刻む人という意味ではなく、)すごい技術を持つ者という意味で最初に印刷物に登場したのは、1963年のマサチューセッツ工科大(MIT)の学生新聞The Techの11月1日、第20号だということです。

(image credit: duartes.org)
(image credit: duartes.org)

この記事中では、電話のシステムに細工をして長距離電話のタダ掛けをするような人たちのことを「ハッカー」と呼んでいます。

これが最も古い記録だとすれば、「ハッカーという言葉自体には善も悪もない」とか「ホワイトハッカーもブラックハッカーもいる」という主張は、歴史的観点からは後付けということになってしまいますね。

MITのスラングだった時代から、ハッカーには「悪いことをする」という意味がついてまわっていた。とFredさんは述べています。

とはいえ、最初の使い方に縛られる必要はないと思うので、技術的にすごい人を悪い意味を含ませることなくハッカーと呼べるようであってほしいと、個人的には思いますが。

via First Recorded Usage of "Hacker" – Gustavo Duarte

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ネットの事件

「ツイッター」は「Smssy」や「フレンドストーカー」という名前だった可能性も

ツイッターというサービス名、はじまった当初は母音の無い Twttr だったこともある、というのは知られていると思います。

ツイッター創業をテーマに書籍 Hatching Twitter を執筆した、ニューヨーク・タイムズのジャーナリスト、ニック・ボルトン氏がブログで披露したのは、最初期にこのサービスに対して考えられたいくつかの名前の候補と、創業者の一人ビズ・ストーン氏の作ったロゴ案。

これらの名前・ロゴは、本の執筆に当たって、ツイッター社(当時だとOdeo社)の立ち上げ当時の内部メールを調査している間に見つけたということです。

twitterall

Odeo社がツイッターのアイデアを考え出した時は、ケータイのショートメッセージ(SMS)を活用するという目的でしたね。ツイッターの140文字も、SMSの文字数の制限(160文字)から決められています。ですので、Smssy というSMSを連想させるサービス名になる可能性もあったわけです。

ロゴ案が出てないので、もっと前に却下されたのだと思いたいですが、Friendstalker (友人ストーカー)という案も出ていたのだとか。もし「ストーカー」なんてのが入ったサービス名だったら、きっとここまで広まっていないし、日本での大人気も無かったのではないでしょうか。

ビズ・ストーン氏は多数のロゴ案を自ら制作したようですが、最終的に決まった twttr ロゴは、「忘れられた共同創業者」ノア・グラス氏によるものです。

logo_twittr

そのあと、今も知られるあの有名な水色のロゴに替わるわけですが、これはリンダ・ゲビン氏によるもの。

twitter-logo

ゲビン氏によれば、このロゴに切り替えた当時、ほとんどのユーザーは新ロゴを気に入らなかったのだそうです。2012年のインタビューで「(当時のTwitterの)ユーザーたちは、このベビーブルーとバブルガムのロゴを見て、日本のティーンエージャーのためのチャットルームみたいだと考えました。それは実際そうでしたが、ノア(・グラス氏)はこれをとても気に入ったのです」と答えています。

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via Twitter's early name and logo experiments reveal a Smssy past | The Verge